よど号ハイジャック事件「われわれはあしたのジョーである」は何を意味したのか
2026.08.03
よど号ハイジャック事件と「われわれはあしたのジョーである」声明の意味
1970年3月31日、日本航空351便が羽田空港を出発し、福岡行きの途中にあたる富士山上空でハイジャックされるという重大な事件が発生した。これがよど号ハイジャック事件である。犯人は共産主義者同盟赤軍派に所属する9人のメンバーで、事件のリーダーには田宮高麿が名を連ねていた。
田宮とその仲間たちは日本刀、拳銃、爆弾を所持しており、その脅威を用いて乗客や乗員を人質に取った。しかし、後になってこれらの武器が全ておもちゃや模造品であることが判明し、一部ではこの事件を茶番と捉える声もあった。
この事件の中で田宮は「われわれは明日のジョーである」と述べた。これは劇画『あしたのジョー』の主人公、矢吹丈にちなんだ言葉であり、当時の社会情勢や彼らの思想を反映していた。
『あしたのジョー』の影響
『あしたのジョー』は、1968年から1973年まで講談社の「週刊少年マガジン」で連載されていた。原作は梶原一騎、作画はちばてつやである。この作品は全共闘世代に大きな影響を与え、多くの学生運動を行う若者たちに支持された。
作品の主人公である矢吹丈は、数々の試練を乗り越えながら強く成長し、数多くのボクサーと戦い続ける姿が描かれている。その様子は、当時の若者たちの運動と重なる部分が多く、彼らの行動原理や目標を象徴していた。
特に、作品終盤において矢吹は「燃え尽きる」ように激闘を重ねる。その姿勢は、田宮や仲間たちが掲げた革新運動と密接に結びついており、「燃え尽きるまで闘う」という姿勢を自己の革命運動に投影していたのである。
ハイジャック事件の経緯
事件発生から数時間後、田宮らは福岡空港で人質23人を解放し、離陸を続けた。彼らはその後、韓国の金浦空港へと向かった。4月3日の午後、彼らは金浦空港に着陸したが、犯人らは平壌行きのつもりであったため、実際には韓国側の偽装によるものであった。
その後、18時05分に金浦を離陸し、19時21分に平壌近郊の美林飛行場に着陸。この時、北朝鮮への亡命が受け入れられた。田宮らにとって、これは一種の成功体験であったかもしれない。
声明の背後にある思想
「われわれはあしたのジョーである」というこの声明は、彼らの思想を色濃く反映していた。この声明によって、田宮をはじめとする犯人グループは、矢吹丈との共通点を強調し、自らの闘志や信念を表現しようとしたと考えられる。
彼らが重視したのは、試練を乗り越えて真の信念を実現する姿であった。これは同時に、彼らが選んだ手段が極端なものであったことへの自己正当化でもあったかもしれない。矢吹丈が示した姿勢は、困難を乗り越え、最終的には自らを捧げる犠牲精神とも解釈できる。
事件後の考察
時が経つにつれて、この事件に関与した人物たちは、自らの思想や行動が正しかったのか疑問を持つようになった。特に、田宮自身が後に「自らの思想が間違っていた」と述懐したことは、掲げた理想と現実との差異を強く意識していたことを示している。
多くのハイジャック事件が社会的、政治的なメッセージを帯びているのに対し、よど号ハイジャック事件は特に象徴的なものであった。田宮やその仲間たちは、自らの行動を正当化しようとする一方で、最終的にはその信念が空回りする結果となった。
まとめ
よど号ハイジャック事件での声明「われわれはあしたのジョーである」は、当時の社会的背景や若者たちの闘志を象徴したものである。矢吹丈の精神を重ね合わせることによって、彼らは自らの革新運動を正当化しようとした。
しかし、数十年後、その思想が誤りであったと認識するようになった彼らの後悔は、事件の象徴的な意味を一層深めるものである。この事件は、時代の流れとともに、当時の思想や運動の虚しさを考えさせる教訓として残るだろう。