ロック・アゲインスト・レイシズム——パンクとレゲエが結んだ現場
2026.08.03
ロック・アゲインスト・レイシズム(RAR)運動の発足
ロック・アゲインスト・レイシズム(Rock Against Racism、略称RAR)は、1976年にイギリスで発足した運動である。この運動は、Red Saunders、Roger Huddle、Jo Wreford、Pete Brunoらによって始められ、音楽を通じた人種差別に対する抗議の場として機能した。
発足の直接的なきっかけは、1976年8月にエリック・クラプトンが行った発言である。彼はバーミンガムでのコンサート中、元保守党議員のイーノック・パウエルに対する支持を表明し、移民に対する反発を煽る内容を客席に語りかけた。クラプトンはイギリスが「過密になった」とし、移民問題について「黒人の植民地」になることを防ぐためにパウエルに投票すべきだと主張した。この発言は多くの反発を呼び、多くの音楽関係者が行動を起こすきっかけとなった。
イーノック・パウエルは1968年に「血の川」演説を行い、移民問題に関して強い警鐘を鳴らしていた。このような社会情勢の中、クラプトンの発言に対抗する形でSaunders、Wreford、Bruno、Huddleが音楽誌NMEに抗議の公開書簡を送ったことで、RARの活動は始まった。
1970年代後半のイギリスでは、人種差別的な暴力事件が増加し、極右政党ナショナル・フロントが選挙で支持を伸ばしていた。このような背景が、RARの運動を強める要因となった。
運動の広がり
RARは1977年春に機関誌「Temporary Hoarding」を創刊した。この機関誌は大判の紙を折りたたんだ形態で発行され、広げるとポスターとしても利用できる独特な作りだった。5年間で15号が発行され、当時の政治状況や音楽シーンに関する情報が提供された。
さらに、同年には社会主義労働者党が「反ナチ同盟(Anti-Nazi League)」を結成し、RARと共同でイベントを開催することが多くなった。このようにして、運動は徐々に広がりを見せ、音楽界における重要な抗議の場となった。
RARを支持するアーティストは多様だった。The ClashやSteel Pulse、Tom Robinson Band、X-Ray Spex、The Rutsなど、多くのバンドがこの運動に参加し、音楽を通じて人種差別に反対するメッセージを発信した。
カーニバル・アゲインスト・ザ・ナチス(1978年4月30日)
1978年4月30日、RARと反ナチ同盟は「カーニバル・アゲインスト・ザ・ナチス」を開催した。このイベントはトラファルガー広場からヴィクトリア・パークまで約7マイルにわたる行進を含み、推定10万人が参加した。音楽を通じた大規模な反ファシスト運動として記憶に残っている。
ヴィクトリア・パークで行われた野外コンサートには、The Clash、Buzzcocks、Steel Pulse、X-Ray Spex、The Ruts、Sham 69、Generation X、Tom Robinson Bandなどのバンドが出演した。参加者は多様であり、ロンドンの音楽シーンの活気を象徴していた。
しかし、会場周辺にはナショナル・フロントやブリティッシュ・ムーブメントの支持者が姿を見せ、一部で衝突も発生した。これにより、RARは当時の社会状況における緊張感をも示すこととなった。この運動は、イギリスの反ファシズム運動が成し得なかった規模の動員を音楽を通じて実現した出来事として評価されている。
パンクとレゲエの結びつき
1970年代後半のロンドンでは、パンクとレゲエの結びつきが重要な文化的現象となっていた。ロンドンのクラブ「Roxy」(コヴェント・ガーデン)では、DJのドン・レッツが1977年からレゲエやダブのレコードをかけ、パンクのファンに新たな音楽を紹介していた。この取り組みが、パンクとレゲエの融合への道を開くこととなった。
The ClashやSex Pistolsのメンバーは、黒人の隣人と共に育った世代であり、黒人音楽に対する愛好を通じてドン・レッツと接触した。これにより、レゲエへの共感を音楽的に表現する機会が生まれた。
レゲエ側からの応答もあった。ボブ・マーリーは1977年に「Punky Reggae Party」を発表した。この楽曲では、The Clash、The Damned、The Jamなどのパンクバンドの名前を挙げ、パンクとレゲエの連帯を歌った。音楽を通じたこれらの交流は、当時の社会的コンテクストにおける人種差別との戦いを強化する要因となった。
まとめ
1970年代後半のイギリスにおけるロック・アゲインスト・レイシズム運動は、社会情勢と音楽文化の交差点に位置した重要な運動であった。人種差別に対する抗議の象徴となり、多くのアーティストが積極的に関与することで、そのメッセージは広がりを見せた。パンクとレゲエの結びつきもまた、音楽を通じての連帯を強調し、両ジャンルに新たな息吹を吹き込むこととなった。音楽が果たす社会的役割の重要性が、この運動を通じて再確認されることとなった。