ロンドンのクラブ「ブリッツ」とは何か、過酷なドレスコードとボウイが訪れた夜
2026.08.04
ロンドンの伝説的クラブ「ブリッツ」とその過酷なドレスコード
1979年、ロンドン・コヴェント・ガーデンにオープンしたワインバー「ブリッツ」は、スティーヴ・ストレンジとDJのラスティ・イーガンが主催するクラブナイトとして知られるようになった。毎週火曜日に開催されるそのクラブナイトは、次第に多くの人々を惹きつけ、1980年代の「ニュー・ロマンティック」運動の重要な拠点となった。
「ブリッツ」の前身は1978年に設立された「Billy's」であり、ここで彼らは「ボウイ・ナイト」を開催していた。ブリッツの常連客は「ブリッツ・キッズ」と呼ばれ、パンクの影響を受けつつも、海賊風の衣装や1800年代初頭のロマン主義風の装い、グラムロックの要素を取り入れた豪華で演劇的なファッションを特徴とした。

ドレスコードの厳しさ
ブリッツに入店するための過酷なドレスコードは、スティーヴ・ストレンジがドアマンを務めることで徹底されていた。彼は「独創的で、想像力を注いだ格好をしているか」を基準に判断し、平凡な格好や没個性な服装の客は入店を拒まれた。このような厳格なルールは、時には入店が特別なゲストにまで適用されることもあった。
例えば、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが訪れた際には、彼がふさわしいブーツを履いていなかったことで入店を断られている。入店の可否は、服装の独自性にかかっており、「型にはまらないことこそが通貨」とまで言われた。

デヴィッド・ボウイが訪れた夜
1980年、ブリッツを訪れたデヴィッド・ボウイにとって、この一夜は特別な意味を持っていた。ブリッツ・キッズにとっては、ボウイが来店することは「イエス・キリストが地元の教会を訪ねてきた」ような出来事であり、彼らの心に焼きつく記憶となった。
この夜、ボウイはブリッツの常連客に自身の新曲のミュージックビデオへの出演を持ちかけた。声をかけられたのは、スティーヴ・ストレンジ、ダーラ・ジェーン・ギルロイ、エリーズ・ブレイジャー、ジュディ・フランクランドの4人であった。この風変わりな誘いは、彼らのファッションやスタイルに独自の影響を与えたと言える。
「アッシュズ・トゥ・アッシズ」のミュージックビデオ
ボウイの新曲「Ashes to Ashes」は、1980年に具体的な映像化が進められた。監督はデヴィッド・マレットで、1980年7月3日、イングランド南部ヘイスティングズ近郊の海岸で撮影が行われた。このミュージックビデオは、当時の制作費が35,000ポンド(現在の価値で約151,000ポンド相当)という高額であり、史上最も制作費がかかったミュージックビデオとして評価されている。
最も知られるシーンは、ボウイとブリッツ・キッズたちがブルドーザーの前を行進する場面であった。この演出についてボウイは「迫り来る暴力を象徴している」と述べている。映像内での衣装デザインも注目を集めた。ボウイはナターシャ・コルニロフがデザインしたピエロ衣装を着用し、帽子はグレッチェン・フェンストンによって制作されたものだった。
スティーヴ・ストレンジは、ジュディの卒業コレクションからスティーヴン・ジョーンズ制作のヘッドドレスとヴェールを合わせた黒いウェディングドレスを身にまとっていた。このように、ブリッツに集う人々のファッションは、彼らの個性と創造性が反映されたものであった。
まとめ
ロンドンのブリッツ・クラブは、単なるナイトクラブではなく、1979年から1980年代にかけての音楽とファッションにおける重要な文化的アイコンとして機能していた。過酷なドレスコードは、独創性や個性を重んじる場であったことを示しており、その影響は今なお色あせていない。
デヴィッド・ボウイの訪問は、ブリッツ・キッズにとって言葉にできないほどの尊敬と興奮をもたらし、彼自身の音楽においても新たな方向性を切り開く契機となった。その結果生まれた「Ashes to Ashes」は、音楽史に刻まれる名曲となり、ブリッツでの出来事は彼のキャリアにおいて一つのターニングポイントとして位置づけられる。
ブリッツ・クラブの伝説は、今もなお音楽とファッションの歴史の中で語り継がれており、その影響力は次世代にも伝播している。