MPBはなぜ軍事政権への抵抗を歌い続けたのか

2026.08.01

MPBはなぜ軍事政権への抵抗を歌い続けたのか

MPBと軍事独裁政権への抵抗

ブラジルの音楽シーンにおけるMPB(ブラジル・ポピュラー音楽)は、1960年代後半にカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらの若い音楽家たちを中心に広がった潮流である。この特異な音楽ジャンルは、ブラジル社会のさまざまな問題を反映し、独自の文化的アイデンティティを形成する役割を果たしてきた。

1964年、ブラジルでクーデターが発生し、軍事政権が樹立された。この政権は1985年まで続き、国内の自由と民主主義に対して厳しい圧力を加えた。特に1968年に施行された「制度法第5号(AI-5)」は、表現の自由を含む市民の権利を大幅に制限し、検閲と弾圧の厳しい時代が始まった。

このような状況の中で、MPBは社会への強いメッセージを持った音楽の発表の場となった。当時、テレビ局主催の音楽祭(フェスティヴァル)が多く開催され、数多くのミュージシャンが政治的な内容を含む楽曲を発表した。その中でも、ジェラウド・ヴァンドレの「Pra Não Dizer Que Não Falei das Flores(通称:Caminhando)」は特に注目に値する。この曲は1968年に開催された第3回国際歌謡祭で2位を獲得し、直ちに軍事独裁政権への抵抗の象徴的な曲となった。

しかし、この楽曲は後に長期間演奏が禁止され、ヴァンドレ自身もAI-5発令後に体制から危険視され、国外に亡命せざるを得なかった。彼はチリを経てフランスに渡った。カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルも、トロピカリズモという前衛的な音楽運動の一環として、軍事政権に対する挑発的な表現を行った結果、1969年に逮捕され、ロンドンへ亡命した。

シコ・ブアルキは1968年に反体制的な言動により逮捕され、その後1970年までイタリアに亡命した。帰国後は、政権への直接的な批判を避けながらも、歌詞にダブルミーニング(2重の意味)を持たせる作風を確立した。彼の楽曲「Cálice(カリース)」は、その代表例である。この曲の歌詞には「Pai, afasta de mim este cálice(主よ、この杯を我から遠ざけたまえ)」という聖書の一節が引用されており、ポルトガル語で「cálice(杯)」という単語が「黙れ」を意味する「cale-se」と同じ発音であることを利用している。

「Cálice」は、当局により発禁とされ、1973年5月にジルベルト・ジルとの共演ライブで披露される直前に上演禁止が決定された。この際、当局が会場に踏み込み、マイクを切断するという衝撃的な出来事が発生した。なお、この楽曲のスタジオ録音は、ミルトン・ナシメントとの共演によるものが正式に許可されたのは6年後の1979年であった。

MPBの中でも特にトロピカリズモのアーティストたちは、政治的な圧力に対し直面しながらも、自らの音楽を通じて反体制的な立場を表現し続けた。彼らはその過程で多くの困難に直面し、逮捕や亡命を余儀なくされる事態が続いたが、それでもなお音楽を通じた抵抗は続いた。

政治的な背景を抱えるMPBは、ブラジル社会において特異な文化的役割を果たしている。これは単なる音楽のジャンルにとどまらず、自由と人権のための戦いの象徴でもある。今後も、MPBはブラジルの歴史に根ざした多元的な音楽文化を映し出し続けるであろう。

このように、MPBと軍事独裁政権との関係性は非常に複雑でありながらも、深い歴史を持っている。音楽は単なるエンターテインメントの枠を超え、人々の意識を変える力を持つものである。MPBのアーティストたちは、今なおその影響力を持ち続けており、未来の世代に向けてどのようなメッセージを届けていくのか注目される。